週刊カルデア

この度、まさかの恵みにより、普段講義している中央聖書神学校の授業の一環として聖地イスラエル研修に教師として同行する恵みに預かった。わくわくる反面、案外現在のイスラエルについては無知であることを準備しなが思わされた。イスラエル人は何を食べているのか?気候は?案外日本とかわらない。冬がある。一年中暑いと勘違いしていた。通貨は・・・シュケル!
イエスキリスト時代と同じ通貨単位を用いている。WOW

イスラエル行きに、まさかの韓国・インチョン空港経由で合計15時間かかった。結構しんどい。それも大韓航空は、海外線なのに、テレビモニタが座席にないのだ!
どうやって12時間半の韓国・インチョン~ルアビブ間の時間を潰せばよいのか・・・途方に暮れた。

飛行機は、ヨッパ・テルアビブに到着。かつて、カイザリヤにいたローマの百人隊長はコルネリオをヨッパにいるペテロに遣いをやって彼を家に招いた。更に、古の日においては、ヨナはここから主の示したニネベに向かわずタルシシへ船で出発した、という町に第1日目到着した。

2日目は、ツアーは、ベエルシェバに到着。そこで3000年前の遺跡を見学。
3000年前の遺跡が今でも現存することに、驚きを隠せない。医師の文化は、日本のような木の文化に対して非常に頑強に出来ている。それ故に、今でも残り続けている。それがイスラエルの基本スタンツである。

ベエルシェバは、ダビデ・ソロモン時代において要塞が築かれた。つまりは「北はダンから南はベエル・シェバまで」というイスラエル国土を最領土としての最南端として位置づけられ、それ故に、塁が築かれ、城壁が出来、騎馬隊などの守備軍が配置された。遺跡はその目的にかなった場所、つまり丘台にあった。

そこから、更に南下してあの有名なマサダの要塞に到着。学生と一緒に下から徒歩で登った。マサダの要塞は、AD70年、エルサレムで反乱が起きた際にローマ軍が鎮圧したがヘロデ大王が要塞として建設したマサダの要塞にユダヤ教の過激派と反乱軍が立てこもった。3年に及ぶ兵糧攻めにも毅然と耐えたこのマサダには、驚くほどの自給能力を備えており、1000人を超える人々が余裕で生存していた。ついにローマ軍の気さくと驚くほどの土木力によって突入可能となった直前、マサダの反乱軍は、全員自決するという壮絶な最後を遂げる。そこに、我々観光客は、ローマ軍の作った道を登った。


その晩は、マサダの要塞の接する死海に面したホテルに宿泊。リゾートホテルとして営業していたこのホテルには、イスラエル全国から中高年のイスラエル人が着ていた。イスラエル政府は、高齢者に対して年間何度か保養地へ行って静養できる支援を行っているようである!!凄い。

3日目、ホテルのプライベートビーチである死海で海水浴?!信じられないが、やはり小生もご多分に漏れず「浮いた!」 不思議である。両手両足をあげた。ラッコのように身体が浮く。少々バチャバチャしたが、浮く。深いところへ行く。立とうとするが立てない。というか、直立が出来ない。つまり、水中で茶柱のように立って浮くのである!まったく持って不思議体験である。その時、一滴の海水が目に入った!死ぬほど痛かった。一目散に退散したことは言うまでもない。

以下は次回へ続く・・・
2010年の日本語部教会のテーマは、ズバリ『PRAY! PRAY! PRAY!』、つまり「祈り」である。多くの信者は、船津信成が「祈り」を強調することに、えっ!?と驚くだろう。あたは、馬子にも衣装・・・と仰るだろうか・・・諸氏の評価は別にして、実は自分が一番驚いている。まったく持って苦笑だ。

何を隠そう、祈りの弱い小生が、「祈り」をテーマにして説教し、金沢キリスト教会に「祈り」の運動を提唱し、実践しようというのだから。2009年を振り返り、この「祈り」の運動(エクササイズというよりはムーブメント)をより豊かに進めることを聖霊によって示されたことは、おそらく、一般礼拝においてところどころ、小生は皆さんに語ってきた。そのソースはやはりヨイドとの関係である。イーヨンフン師との出会いとそのメッセージに小生は圧倒された。勿論、この「祈りの運動」の発信者は、他でもない聖霊である。

今年、金沢キリスト教会一般礼拝では、「祈り」を語る。祈りを語るとはどういうことか?祈り、それは最終的には実践するに至ることがゴールである。しかし、ただ闇雲に「祈る」というのでは、神との「会話」としては成り立たない。より「御心」を知り、それを行うための「祈り」を一緒に学び、実践したい。

そこで、「祈り」の運動を促進するためのスローガンを提唱したい。所謂、『祈りの五段活用』である。

1. 祈らない人生に華は無し。
2. 祈りは霊の呼吸。
3. 祈るとき山は動く。
4. 祈れ、祈れ、気合いで祈り抜け!
5. 祈ろう、教会挙げて。
つまり、「ら、り、る、れ、ろ」と、祈るという行為を五段活用で纏め上げ、それを暗証して実践する。これが、2010年の「祈りの運動」である。

一般礼拝で、いや金沢キリスト教会総力挙げて、この「祈りの世界」に飛び込みたいものだ。祈りは、天の窓を開く鍵だ。祈りは個人の願いをかなえると同時に、キリストの身体なる教会の前進の主動力である。教会が力強く前進する時、暗闇の力は破られ、悪の勢力は粉砕する。悪霊は退散し、不信仰が正される。病は癒され、病人は解放される。そして呪いは祝福へと変わる。

これ以上の福音最前線はあるだろか?キリストの体なる教会は、この神の国の具現化をこの地上でなす使命を帯びている。このチャンネルこそ、「祈り」である。

今年は、今まで以上に教会挙げて祈りの深みに漕ぎ出したいものである。
2009年を振り返ると、「草食男子」に始まり、「弁当男子」や「オトメン」など、男性については大人しいイメージの単語が誕生したのに対し、女性は「肉食女子」「ノギャル(農業ギャル)」、「女子力」、など、積極的だ。2009年は、男性・女性それぞれにとってどのような一年だったのだろうか。あるサイトで以下のような結果になった。

2009年自己採点結果、男性平均点は58.9点、女性は64.3点

2009年の自己採点の結果を、今度は男女別に見る。それぞれの平均点は男性が58.9点、女性が64.3点と、女性の方が自己評価が高い。興味深い結果だ。 

Q1. 2009年を総括して、自分に点数をつけるとしたら、100点満点中の何点ですか?(男女別) 
Q2.2009年を振り返って、今年の目標は達成できたと思いますか?(男女別)
「当初から目標を立てていない」という人が半数以上に上ったことは驚く。男女別に見ると、若干、男性の方が目標を立てていない人の割合は多い・・・これでは、弱腰と言われても仕方ない。この「目標を持つ」ことへのスタンスの違いが、自己評価や充実感の違いに影響することは言うまでもない。 
つまり、目標は立てなければ達成できないから、達成感を得られない。達成感が無ければ、充実感や自己評価はその分低くなる。一年を総括したときの感覚の違いは、「ゴール」が見えていたかいないかという、スタート地点の違いにあるのだろう。男性諸君、とは言わないが、男女問わず、今年は何となく悔いが残ったと感じている人は、2010年は小さなことでもよいから、目標を持って充実した一年にして欲しい。

さてさて、信仰生活の目標達成感は如何だったろうか?「福音」を思い存分語れたのなら清々しいものだ。
この歌は、1818年オーストリアにあるオーベンドルフ教会のクリスマス深夜ミサにて、初めて人々に口ずさまれた。原曲はドイツ語で、作詞は、司祭のJ・モールであり、作曲は彼の友人であり教師をしていたX・グルーバーだった。やがて、この曲は、1863年にNYの牧師ジョン・ヤングによって英訳されることによって、世界中に紹介されるにいたった。

日本では、1894年(明治27年)頃に紹介され、1931年(昭和6年)に刊行された『賛美歌』に初めて登場した。日本語訳は1920年、後に東京二葉独立教会の牧師になる由木康による。実は、この日本語訳は、原曲をどれほど訳したのか、明確でない不思議な訳なのだ。

独英版では、歌いだしは「静かな夜、聖なる夜」とはじまる。しかし、由木はその前半を省略し、第二行目に欧文詞には無い「星はひかり」を付加した。この二行目以降は、ドイツ語では、「全てが眠るなか、一つの場所だけが、目覚めている。いとしく聖なる夫婦、 巻き毛の愛らしい幼子」、英訳では、「全ては静まり、全ては輝き、若き処女なる母親とこの周りは。いとも優しく柔和な、聖なる幼子」となる。ところが、由木は「救いの御子は、み母の胸に」(1954年には後段に「まぶねの中に」と改訂)し、全くオリジナルと異なる表現を描いたのだ。

独英詞と由木のもっとも大きな違いは、作者、訳者の本来のクリスマスのでき出来事のイメージをどれほど自由に膨らまたかによる。というのは、独英詞の「優しい柔和な」、「巻き毛の幼子」というこうした視覚的表現は聖書には出てこない。由木は曲のオリジナル性よりも、出来事のオリジナル性に拘った。それは「夜」、「星」、「み母」、「まぶね」、「飼い葉おけ」、そして「救い主」とあくまでも、聖書のメッセージ性に注目をおいた。

その意味で、日本語訳の「聖しこの夜」は、音楽的芸術性を越えて、この曲の出発点である、クリスマス自身が持つもっとも中心的な内容「イエスは救い主である」というメッセージを提供している。

「聖い夜」とは、ロマンティックな夜をさすのではなく、神の力強い救いのダイナミズムが展開する出発であると思う。
9日朝5時半、遠藤兄のマイクロバス運転で、一向は成田へ向かった。意気揚々と、志高く、聖なる誇りを胸にしてバスは走る。初めての国際舞台を意識してか、参加者は緊張感を多少なりとも感じつつ、しかし、気高き目は、既にマレーシアを見つめていた。

成田に到着し、早々に荷物を降ろす。W&Mで訓練された彼らは速やかに行動に移す。マレーシア航空のカウンターにてチェックインカウンターを済ませ、グループで行動。このグループが常にこのYouth Aliveツアーの基本行動となる。グループリーダーが参加者をよくまとめ、安全を目的に全体としての組織的行動をスムーズに進める。このグループこそが、常に小生が引率する全体組織の基本単位であり、重要な最小単位となる。

飛行機はトラブル無くKL空港に到着。日本で手配しておいたチャーターバスにてヒルトンホテルに移動。5つ星のホテルは快適だった。一人の出張となれば機能性と経済性で選択するホテルだが、今回は海外旅行を初めてとする青少年たち30人を超す団体ゆえ、「安全」を買った。その結果がヒルトンである。一人の出張なら決して泊まらない、いや、泊まれないホテルだ。しかしながら、最終的には、最良の判断だったと確信している。毎日激しいスケジュールと不意識の中で緊張を蓄積している身体には、慣れない海外旅行は本人の意識以上に悲鳴を上げさせているものである。決して多くは無く睡眠に対して最上の環境を提供できるこのホテルは、今回のミニストリー成功の大きな環境的基盤となった。

何を食べるか?人間の本能的、根本的、そして本質的問いである。早朝5:15に金沢キリスト教会に集合して終日緊張の中にいた我々には、たどり着いた現地で何を食べるかは、決して小さな問題ではなかった。結果的にホテルの目の前にあるインド&マレーレストランに緑色のUth ChallengeTシャツを着た30人は入った。注文の仕方も知らず、結構すったもんだしながらお皿に食を盛る。これも旅の醍醐味であると知りつつも、結構メチャクチャな方法で夕食をとった。詳細はツアー参加者に直接聞くほうが良い。どんなに食べても300円に達しない金額は参加者全員にとって魅力的であった。

2日目、GT教会を会場とするYouth Aliveに出かける。雅子・セルバラトナム師の聖書学校時代の旧友がマレーシアの青少年伝道の一線で大活躍している。誰もかれも、「雅子は元気か?ロイは元気か?」と聞いてくる。まったく持って、この地は二人のテリトリーであることを痛感する。太平洋アジアと中央アジアより29カ国が終結。2000人あまりのカンファレンスとなった。各国の国旗が次々に入場する。わが国の日の丸は祈兄によって堂々と入場。思わず、席を立ち歓声を上げる。日本の国旗が高く掲げられた瞬間である。安っぽい国旗論をエンドレスに弄繰り回す方々には一度は拝見して頂きたい瞬間である。自国の国旗を堂々と自信を持って見上げるアイデンティティは、自国リバイバルを願うものは必須であることは、宣教論の常識である。

カンファレンス中、何度も何度も「Japan!」と講壇から語られる。日本!日本!と呼ばれるたびに、正直、ドキッとするがそれほど主催者側は、今回の日本勢35人を心から喜んでくださっていることが伝わった。そして3日目の午後、Uth Challengeは日本代表としてその時間を与えられた。ソーラン節の踊りから入る。その力強い踊りに世界は圧倒された。イエスキリストが、その弟子達にこう言った。『あなた方を人間を獲る漁師にしてあげます。』まさに、大漁宴を象徴するこのソーラン節は、日本のリバイバルを願う祈りであり。預言的宣言である。いや、既に始まっている主の御業の宣言なのである。故に、世界は興奮した。会場から拍手の津波は途切れない。しかし、これは感動の拍手ではない、イベント特有の盛り上げのアクションでもない。同じ志に立つ信仰の仲間からのエールであり、声援であり、日本で主が成されている大きな御業を主に栄光を帰している瞬間なのである。Uth Challengeは賛美を続ける。オリジナル、クリスマスソング、そして超伝統的賛美・アメイジング・グレイスへワーシップは続く。会場の全てのものが手を主に揚げ、祈りに突入した瞬間である。それはUth Challengeの何かが会衆を動かしているというようなレベルではない。主の臨在である。主の臨在が、会場を支配した瞬間であった。主の臨在は、ある意味全てである。その中に全ての目的と答えがある。

日曜日、我々は3つ教会に分かれて遣わされた。カナン教会、カリス教会、そして理事長の教会・メトロ・タベナクル。日本の次世代を担う新進気鋭の説教者が講壇に登る。布施宣義師、市川牧師、平松厳師らである。マレーシアの多くの方々が、NOBUは説教しないのか?と問われたが、応えはNOである。手抜きではない。チャンスの分かち合いである。小生も若き日から先輩方にチャンスを頂いた。身の丈以上のチャンスであった。そしてチャンスをものにしてきた。そして今日がある。そのことを鑑みると、次世代の若き牧師たちに世界で語るチャンスを彼らにシェアすることは、小生のまた慶びでもある。果たして彼らはそのチャンスに向かって最大限の応答をした。

日曜日のそれぞれの教会で、Uth Challengeは再び賛美した。別の教会では、ある者は独唱し、ピアノ演奏し、バイオリンを奏で、証をした。主に持てるものをもって栄光を帰した瞬間である。

日曜日夜、KL空港より一行は帰途に就いた。十分なKL観光をすることは無かったが、Youth Alive参加者みな満足であった。小生もその一人である。飛行機が滑走路を走り出したときには既に小生の身はシートに沈んだ。再び起き上がったのは、成田上空である。Youth Aliveに向けて2年間祈り備えてきた。そしてその祈りは形となって実現した。祈りは聞かれるということを再度体験した時であった。2年前、ジャカルタにおけるYouth Aliveで、会場よりステージを観てこう思った。あー、いつか日本もあそこに立ちたいなぁ・・・。しかし、実現する。多くの人が小生にこう言った。「すごいですね。こんな風になるなんて、思わなかったでしょう?」しかし小生はこう返答する。「いいえ、そのつもりでここまで来ました。」

ビジョン実現に、偶然は無い。そこにはそこに達するための綿密渇大胆な戦略がある。それを意地継続する意思と動機がある。何よりも、それを導いた神が居られる。Youth Alive@マレーシアはその具現であった。

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