メッセージ

No.60『PRAY! PRAY! PRAY!』

2010年の日本語部教会のテーマは、ズバリ『PRAY! PRAY! PRAY!』、つまり「祈り」である。多くの信者は、船津信成が「祈り」を強調することに、えっ!?と驚くだろう。あたは、馬子にも衣装・・・と仰るだろうか・・・諸氏の評価は別にして、実は自分が一番驚いている。まったく持って苦笑だ。

何を隠そう、祈りの弱い小生が、「祈り」をテーマにして説教し、金沢キリスト教会に「祈り」の運動を提唱し、実践しようというのだから。2009年を振り返り、この「祈り」の運動(エクササイズというよりはムーブメント)をより豊かに進めることを聖霊によって示されたことは、おそらく、一般礼拝においてところどころ、小生は皆さんに語ってきた。そのソースはやはりヨイドとの関係である。イーヨンフン師との出会いとそのメッセージに小生は圧倒された。勿論、この「祈りの運動」の発信者は、他でもない聖霊である。

今年、金沢キリスト教会一般礼拝では、「祈り」を語る。祈りを語るとはどういうことか?祈り、それは最終的には実践するに至ることがゴールである。しかし、ただ闇雲に「祈る」というのでは、神との「会話」としては成り立たない。より「御心」を知り、それを行うための「祈り」を一緒に学び、実践したい。

そこで、「祈り」の運動を促進するためのスローガンを提唱したい。所謂、『祈りの五段活用』である。

1. 祈らない人生に華は無し。
2. 祈りは霊の呼吸。
3. 祈るとき山は動く。
4. 祈れ、祈れ、気合いで祈り抜け!
5. 祈ろう、教会挙げて。
つまり、「ら、り、る、れ、ろ」と、祈るという行為を五段活用で纏め上げ、それを暗証して実践する。これが、2010年の「祈りの運動」である。

一般礼拝で、いや金沢キリスト教会総力挙げて、この「祈りの世界」に飛び込みたいものだ。祈りは、天の窓を開く鍵だ。祈りは個人の願いをかなえると同時に、キリストの身体なる教会の前進の主動力である。教会が力強く前進する時、暗闇の力は破られ、悪の勢力は粉砕する。悪霊は退散し、不信仰が正される。病は癒され、病人は解放される。そして呪いは祝福へと変わる。

これ以上の福音最前線はあるだろか?キリストの体なる教会は、この神の国の具現化をこの地上でなす使命を帯びている。このチャンネルこそ、「祈り」である。

今年は、今まで以上に教会挙げて祈りの深みに漕ぎ出したいものである。

久々に、シンガポールにもどってきた。といっても、あれは、2004年の3月だっただろうか・・・あれから5年が経った。エヴァンジェリカル・ファミリー・チャーチは、金沢キリスト教会にとっても姉妹教会といっても過言ではない、親交の深い教会である。Founder Pastor(創設牧師)であるロバート・リム師は、CGIメンバーであり、船津行雄師・恭子師と長い間の友人である。昨年末、彼の息子デール・リム師が教会を継承した。2000人近い会衆をしっかり導いていると、金沢キリスト教会メンバーであるY兄から便りを聞く。金沢キリスト教会のファミリーキャンプ、Youth Campでも以前デール師を招いたことがある。力強いメッセージに、小生は惚れた。そして年も同じである。同じアジアにおいて同世代で研ぎ合える友が居ることに小生は武者震いする。

 

この度、金沢キリスト教会のメンバーであるU兄一家が、香港からシンガポールへ移動した。移動して間もない彼らを訪問するためであり、U兄一家が是非ともこの金沢キリスト教会と親交の深い教会に、小生が信頼おける牧師のもとに通って欲しいという願いと、そして何よりも、U兄一家に会いたいという気持ちをこめてシンガポールへ飛んだのである。金沢区民であえる金沢キリスト教会メンバーには、すぐに飛んでいける環境にあるが、一旦海外に移動されるとそうはいかない。だから、意識して訪問する。声をかけ、交わりを持ち、時を共有し、互いに金沢キリスト教会に植えられたものとしてのアイデンティティを意識しあう。どうして船津信成師がシンガポールへ行ったのか?U兄一家が、金沢キリスト教会メンバーだからである。どして船津信成師はシンガポールへ行ったのか?船津信成師も金沢キリスト教会のメンバーだからである。これ以上のシンプルな答えは無い。そしてこれで十分であろう。

 

この二日間は凄まじいスケジュールとなった。金曜日、AM0:30にシンガポールに到着、ホテルに着いたのは、AM2:30、朝起きたのがAM8:00.午前中はU兄と会い、ランチはデール師夫妻と素敵なレストランで会食。午後は、金沢キリスト教会メンバーであり、現在、エヴァンジェリカル・ファミリー・チャーチのメンバーと結婚し、そこに通っているY兄と会った。生まれたときからの幼馴染であるが、一緒に遊んだ記憶はそう記憶にない。どちらかというと物静かな彼と、ゆっくりサシで話せたのは収穫大であった。夜はU一家と「大阪ぼてじゅう」でお好み焼きを食べ良いフェロシップを持った。本来の目的である。環姉に、3人のお子さんと近況を聞いたり、金沢キリスト教会からのメッセージを届けた。U兄一家はみな、金沢キリスト教会を親しく思ってくださっていることに嬉しさを覚えた。

 

土曜日は、ランチを、デール師夫妻と、U兄一家、Y兄夫妻とオールスター状態で中華を三昧した。午後からは、U兄一家が新しく引っ越す新居の鍵受け渡しに立会い、新居に入るために祈りを捧げた。また、U兄の会社の同僚の方にお会いした。近々日本に戻られるらしく、また金沢キリスト教会インターネット礼拝を何度か御覧下さっているようで、有益に時を過ごした。夜19:30には、空港に到着。深夜便で日本へ飛んだ。426日(日)朝6:30成田空港に到着。その足で金沢キリスト教会に突撃した。ホームに帰ってきた気がした。やっぱり金沢キリスト教会が一番である。
                            金沢キリスト教会牧師 船津信成

Uth Challengeカンファレンス2ndは、祈りと周到な準備のうちに進められてきた。兄弟姉妹の祈りと献身的奉仕に主が油を注ぎ、主ご自身の業が展開された。

 

のっけから飛ばした!これが一番ただし表現だろう。Uth Challengeカンファレンス1夜目、セッション1、力強いワーシップでスタートを切る。祈り備えてきたカンファレンスは、時が満ちるに及んでここに開花した。セッション1直前までどのような集会が繰り広げられるのか、好奇心をもって見つめていたJMJay Mooney)師の体が、リズムを刻み始めた。両手は、ゴーゴーダンスの振り付けであり、ちょっと時代遅れの動きであるが、明らか21世紀のサウンドに乗っている。満面の笑みが毀(こぼ)れつつも、視点はステージではなく、会衆を見張っていた。隣に立つJM師は、時々、「Yes, Jesus!」と連呼する。遂にワーシップは頂上へ上りつつある。セッション1はステージにゲストスピーカーJM師を迎える。ステージに上がったJM師は、通訳者に耳打ちする。通訳者は瞬間苦笑するが、その任務遂行に入る。何が起きたのか?!小生は知っていた。JM師は、セッション1のワーシップで取り扱われ、メッセージを変更したのである!!

 

メッセージそのものは、ノンクリスチャンを対象にしたシンプルな伝道説教だった。彼らに福音は直球で投げられた。師は語り終え、招きへと進む。もっとも感動的で緊張の走る瞬間である。主イエスを受け入れる魂に、右手を上げるようにChallengeする。何人も手を挙げる。しかし、師は更に精査する。今日、今日初めてイエスキリストを受け入れる人?!と明言する。ここに小生の伝道者魂が燻(くすぶ)られる。多くの伝道者は、適当に手を挙げるならそれでヨシにしたい。目に見える結果がそこに既にあるのだ。しかし、師は更に突き進む。コアに拘る。伝道集会だ、伝道集会の収穫、それは初めてイエスキリストを受け入れる魂への情熱である。師は最決心を大切にしつつも、それ以上に初めて救いを受けようとしている魂へ渾身の力をこめて福音のコアヴァリューを突きつける。

 

まるでそれは、侍ジャパンエース・松坂が、渾身の力を振り絞ってキャッチャミットへ投げ込むが如くだ誰にも文句は言わせないこの希薄は、単なる維持ではない。実力が伴う。歴然とした存在感をともなって、直球の玉は放り込まれる。魂のこもった玉は、物理学上、その持つ質量は変わらない。勿論、初速度と玉のスピードは、その玉が持つ力に影響を与えるが、バッターの心理には、それ以上の「凄み」が上乗せされる。つまり、気合だ!この気合の一球入魂が、バッターボックスを完全に支配し、そのバットは空を切る。師の説教はまさにそのようなものだった。まさにChallengeの直球勝負であった。

 

結果、(スリー)・ストライク!3人の若者がイエスキリストを受け入れ、前に出た。主イエスキリストを救い主として受け入れた瞬間である。感動と喜びが渦をなす。聖会会場のスタジアムは、更に祈りへと傾れ込む。祈りは止められない。一度動き出した霊のモーメントを誰が止められよう。誰もが翌日のUth Challengeを期待した。

                            金沢キリスト教会牧師 船津信成

今年も、第2回のUth Challengeカンファレンスをもてる運びに聖霊が導いてくださっておられることを感謝する。今年のUth Challengeカンファレンスの目玉は、米国アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団、青少年伝道部長であるJ. Mooney師(ムーニー師)の来日である。勿論、師の来日は初めてであり、師も日本宣教に重荷を負っていらっしゃった主の器である。

 

師との出会いは、2年前のジャカルタでもたれたYouth Aliveに遡る。金沢キリスト教会より小生の他に5人が参加した。当初は、教団青少年伝道委員会の一員として、部長が欠席するために、白羽の矢は部員の小生へ「自費」で参加しろと、誠に「慈悲」深い業務命令を拝命した。正直、ちょっぴり東南アジアは、専門分野ではなく、英語教会の雅子師にこのエリア担当営業を一任していたのだが、そうもいかなくなり、金沢キリスト教会のある壮年からは、「ノブナリ先生、しっかり現地のものを食べてきてくださいよ!」と半分茶化されながらも、赤道直下の国へ飛んだ。

 

ご存知、世界で一番イスラム色の濃いこの国では、ある地方において、未だに歴然とクリスチャンは迫害され、教会は焼き討ちにあい、牧師が虐殺されている!しかし、極右翼の当局の者たちは警察には黙認するように指示するこの国に、神は何をなさろうとしているのか・・・ビビリながらも、半信半疑の渡航となった。金沢キリスト教会の主管者の四文字熟語は「安全第一」であるので、そのことには最新の注意を払った。つまり、危険なことにはクビを突っ込むな、ということである。あまり海外宣教向きではないのか・・・その辺は追及しないところが、この教会の趣(おもしろ)いところだ。

 

大会は、東南アジア十数カ国より7,000人を招いて、開催された。イスラム社会の中で、これほど堂々としたカンファレンスはあるのだろうか?!驚いた。圧倒的な聖霊の臨在は、施設の外の緊張感と別の、霊の緊張感へと会衆を導く。各国のユース伝道の第1人者がみ言葉を語る。マシンガンのように、ユースにこれでもかと語る。ワーシップは半端じゃなかった。欧米ワーシップの影響を受けている小生や金沢キリスト教会にとて、アジアンPowerを感じさせる独特のワーシップが押し寄せた。完全に受肉したワーシップに小生は、宣教のContextualization(文脈化)を実感した。例えで言えば、オリジナルはイタリアンであるアメリカのピザ、オリジナルは中華の日本の餃子、オリジナルはインドの日本のカレーライスである。完全に文脈化されたものは、その土地に根ざし、その土地の文化と一緒に花を咲かせる。信仰のプレゼンテーションを見事に出力した瞬間である。

 

その激しい渦の中で、一際冴えわたるリーダージップを発揮し、各国のユース伝道リーダーたちに圧倒的な存在感とレスペクトを集めたのが、このJ. Mooney師であった。彼自身は、激辛韓国料理のような、または異彩を放つピリカラ・トムヤンクンのような赤々した「激」さは無い。むしろ物静かで上品から洗練された雰囲気を漂わせる。静かなまなざしに、襟付きのラルフローレンのポロシャツを着こなす。しかし内なる人は、鉄工所の溶鉱炉のようにガンガン燃えている。まるで小生のようだ。同じ匂いがした。間違いない!

 

鉄は鉄を研ぎ、友はその友によって研がれる。聖書の真理だ。小生は本当に自然体で彼に近づいてこう言った。

"Hi, good see you, Jay. I am from Japan, NOBU. I would like to welcome to Japan to preach, encourage, and charge Japanese young generation. Do you want to come to Japan?"

初めての人に話す内容では決して無い。しかし彼はこう応えた。

"Yes, I do go to Japan! Nobu, you are my partner."

大物たちは、時に重要な"パートナー"を選ぶに即決する能力を持つようだ。

                            金沢キリスト教会牧師 船津信成

期待は、裏切らない!これがキリスト教の強みである。彼に信頼するものは決して失望させられることは無い、と聖書が証しする通りである。

 

牧師セミナーの講義初日、いきなり本命が到来。イーヨンフ師である。世界最大の教会、ヨイド純福音教会主任牧師チョーヨンギ師の後継者である御仁である。温厚な精確がその際立った特徴であるが、冷静沈着。しかし、かかったエンジンは、突き抜ける。カルフォニアにあるフラー・セミナリーでPh.Dを取得した彼は、東京教会をも担任牧師として歴任。その牧会の手腕と成功をチョー先生認められ、本教会へ戻され、副牧師としてヨイド教会に着任。チョー先生の後継者問題において、チョー先生は、長老たちによる選挙に委ねた。主の導きの中、選挙は、イーヨンフ師を次の後継者と指名。

 

イーヨンフ師の説教は、シンプルだった。「聖霊充満」の純福音教会の神学四文字を見事に、丁寧に、そして論理的にセミナー出席者に向かって展開する。誰でも知っている話し???しかし、新鮮さが冴える。「聖霊充満」の究極は、とどのつまり「イエスキリスト充満である!」と進む。なるほど合点がいく。イエスキリストに栄光を帰する聖霊のミニストリーの目的は、信者がイエスキリストを現すことに尽きる。つまり、聖霊充満とは、なにか「強い意思」とか、所謂「霊的?」とか、そういうその人が強くなる、高度な霊的なステイタスを獲得する、または霊的高揚状態を示すのではなく、とことんイエスキリストを現すことを目的とすることである。つまり、

     イエスキリストのミニストリーを継承する

     イエスキリストの願いを我が願いとする

     イエスキリストの人格に似せられる

     イエスキリストに従う、つまり自分の十字架を担う

ことがそこに含まれている。

シンプルであり、聖書的だ。

 

イーヨンフ師の語る説教には無駄が無い。説教学的ニュアンスではない。説教の実態そのものが放つそれ ―― 言い換えるなら、語られた神の言葉(ケリグマ)がイエスキリストのみを指し示しているのである。だから純度が高い。聴衆は、聖霊充満、それはイエスキリスト充満であることを痛感した。更にはそれを求めることをイーヨンフ師は、強くチャレンジされた。イーヨンフ師の説教は中国語の通訳を含め正味50分ほどの短さであったにもかかわらず、会衆はイーヨンフ師によって祈りへと導かれる。何十分も祈りに導かれたのだ。目的は聖霊充満である。そしてその向こうに、イエスキリスト充満があるのだ。

 

聖霊の豊満、または豊穣を痛感した瞬間である。小生には、「聖霊充満維新」であった。

                            金沢キリスト教会牧師 船津信成

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