No.61『聖地イスラエル』

この度、まさかの恵みにより、普段講義している中央聖書神学校の授業の一環として聖地イスラエル研修に教師として同行する恵みに預かった。わくわくる反面、案外現在のイスラエルについては無知であることを準備しなが思わされた。イスラエル人は何を食べているのか?気候は?案外日本とかわらない。冬がある。一年中暑いと勘違いしていた。通貨は・・・シュケル!
イエスキリスト時代と同じ通貨単位を用いている。WOW

イスラエル行きに、まさかの韓国・インチョン空港経由で合計15時間かかった。結構しんどい。それも大韓航空は、海外線なのに、テレビモニタが座席にないのだ!
どうやって12時間半の韓国・インチョン~ルアビブ間の時間を潰せばよいのか・・・途方に暮れた。

飛行機は、ヨッパ・テルアビブに到着。かつて、カイザリヤにいたローマの百人隊長はコルネリオをヨッパにいるペテロに遣いをやって彼を家に招いた。更に、古の日においては、ヨナはここから主の示したニネベに向かわずタルシシへ船で出発した、という町に第1日目到着した。

2日目は、ツアーは、ベエルシェバに到着。そこで3000年前の遺跡を見学。
3000年前の遺跡が今でも現存することに、驚きを隠せない。医師の文化は、日本のような木の文化に対して非常に頑強に出来ている。それ故に、今でも残り続けている。それがイスラエルの基本スタンツである。

ベエルシェバは、ダビデ・ソロモン時代において要塞が築かれた。つまりは「北はダンから南はベエル・シェバまで」というイスラエル国土を最領土としての最南端として位置づけられ、それ故に、塁が築かれ、城壁が出来、騎馬隊などの守備軍が配置された。遺跡はその目的にかなった場所、つまり丘台にあった。

そこから、更に南下してあの有名なマサダの要塞に到着。学生と一緒に下から徒歩で登った。マサダの要塞は、AD70年、エルサレムで反乱が起きた際にローマ軍が鎮圧したがヘロデ大王が要塞として建設したマサダの要塞にユダヤ教の過激派と反乱軍が立てこもった。3年に及ぶ兵糧攻めにも毅然と耐えたこのマサダには、驚くほどの自給能力を備えており、1000人を超える人々が余裕で生存していた。ついにローマ軍の気さくと驚くほどの土木力によって突入可能となった直前、マサダの反乱軍は、全員自決するという壮絶な最後を遂げる。そこに、我々観光客は、ローマ軍の作った道を登った。


その晩は、マサダの要塞の接する死海に面したホテルに宿泊。リゾートホテルとして営業していたこのホテルには、イスラエル全国から中高年のイスラエル人が着ていた。イスラエル政府は、高齢者に対して年間何度か保養地へ行って静養できる支援を行っているようである!!凄い。

3日目、ホテルのプライベートビーチである死海で海水浴?!信じられないが、やはり小生もご多分に漏れず「浮いた!」 不思議である。両手両足をあげた。ラッコのように身体が浮く。少々バチャバチャしたが、浮く。深いところへ行く。立とうとするが立てない。というか、直立が出来ない。つまり、水中で茶柱のように立って浮くのである!まったく持って不思議体験である。その時、一滴の海水が目に入った!死ぬほど痛かった。一目散に退散したことは言うまでもない。

以下は次回へ続く・・・
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2010年3月

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